― 二種のお椀と桜餅 ―
三月。
桃の枝がほころびはじめ、春の気配が静かに膨らむ頃。
西麻布いちのの春は、澄んだお出汁の香りとともに始まります。
この時期ならではの二種のお椀、そして余韻を整える春の甘味、桜餅をご用意しました。
白魚のお椀 ― 繊細な火入れが生む、春のやわらかさ
蓋を開けた瞬間、湯気とともに立ちのぼるふわっと香る木の芽の香り。
このお椀は春色の三色に仕立てた菱餅真丈に、白魚を静かに添え、春らしい軽やかさを加えました。
お出汁の中でふわりとほどける菱餅真丈は蟹の旨みが詰まっています。
白魚は、酒をふり、塩をほんの少し。
約六十度でやさしく蒸して、崩れやすい身を整えながら火入れをします。
仕上がりはトロトロとやわらかく、春らしい口当たり。
しめじ、新芽のうるい、桜型の人参。
山椒の葉が蓋を開けたときの季節の香りを運びます。
味わいは、すっと身体に入ってくるように、やさしい口当たりに。
季節や気温によって塩味の置き方を変え、出汁の輪郭がいちばん心地よく立つところを探していきます。
蛤のお椀 ― 殻が開く一瞬を見極める、ひと椀
もう一つは、蛤を主役にしたお椀。
澄んだ出汁は、素材の持ち味をまっすぐに引き出します。
主役の蛤は、旨みを十分に含ませながらも身はやわらかいまま。
貝殻から「さっと外す」その一瞬の見極めが、火入れの技を物語ります。
そこに菱餅真丈のふくよかな風味が重なり、ひと口目から春の余韻が広がります。
桜餅 ― 手間を重ねた、やわらかな甘み
春の甘味は、道明寺の桜餅。
道明寺粉は、砂糖水で丁寧に練り上げ、一度密封して休ませます。
ゆっくりと戻すことで、粒の一つひとつがやわらかく、ふっくらと。
中の餡は、小豆を一晩水に浸し、さらに下処理をしてから渋抜き。
流水でさらし、再び火にかけ、豆が割れないように静かに煮詰めていきます。
最後に、ほんの少しの酒と、ひとつまみの塩。
甘さの奥に、凛とした輪郭が生まれます。
桜の葉と花は塩漬けを丁寧に塩抜きして。
三月のしつらえとして、桃の枝を添えました。
ひと口含むと、
やさしい甘みと、ほのかな塩の香り。
春のはじまりを告げるような、静かな余韻が残ります。